My first star ○お月様の恋心 お月様はさみしんぼ みんなはきれいとほめるけど 自分のすがたはわからない そんなあるときお月様は 薄闇空に輝きを放つ 一番星に恋をした ずっと一緒にいれなくてもいい おはようございます おやすみなさい そう声をかけるだけで幸せ * バカ。アホ。まぬけ。とんま。冷血漢。色男。って色男は悪口じゃないか。誠志郎は脳内でぶちぶちと、今この場にいない人物の悪口を言い続けていた。 ボケナス。ド忘れ。健忘症。ずっと前から約束していたのに。それをあっさりすっぽかすなんて、ヒドイ奴だホントに。 「・・・楠木。なにカワウソにガン飛ばしてるんだ」 自分の世界にどっぷりつかっている誠志郎を、呆れた声で現実へと引き戻したのは飛鳥井柊一だった。 今誠志郎は柊一と一緒に水族館へ来ていた。偶然道端でバッタリ出会った柊一を、誠志郎が強引に引っ張ってきたのだ。 「そこいらの女みたいにキャーキャーはしゃげとは言わん。が、せめて睨むのを止めてやれ。すげぇ不審者に見えるぞ、今から事件を起こす直前みたいな。第一カワウソに罪はない」 不機嫌さゆえに、ずっと眉間にシワを寄せっぱなしの誠志郎の表情が、思いつめている顔に見えなくもない。言い得て妙な柊一の言葉に、誠志郎は眉間をグリグリとほぐす。 なにゆえ、誠志郎が柊一と水族館などに来ているのかと言えば、それはその場の勢い以外のなにものでもない。柊一にとってはいい迷惑だということは重々自覚している。それに水族館の生き物たちはとても可愛いし癒される。が、たった今目の前で衆人環視をものともせず、イチャイチャしているカワウソの番がとても癪にさわるというか、カチンときたというか。要するにカワウソに八つ当たりをしているわけであった。 「ほら、カワウソが気に入らないんなら次いくぞ、次」 なんとなく誠志郎の気持ちを察したのか、はたまた不審者で警備員を呼ばれてはたまらないと思ったのか。柊一が誠志郎の手を引いてカワウソコーナーから引き剥がしていく。 ごめんよカワウソたち、おしあわせに。 心の中でそうカワウソに謝りつつ、誠志郎は手を引かれていった。 * 「で?一体どうして水族館なんだよ」 のっぺりとしたマンボウがのんびりと遊泳している水槽の前で、柊一が尋ねた。誠志郎もそのマンボウの姿をぼんやりと眺めながら、小声で口を開いた。 「水族館って、遠足でしか来たことがないんだ」 「俺だってそうだ。世の中意外とそういう奴は多いぞ」 目の前をゆったりと泳ぐマンボウは、じっと見ていると意外と愛嬌がある気がしてくるし、水族館でも人気の癒しスポットらしい。その効果もあってか、今までむっつりしていた誠志郎が、ポツポツと語り出す。 「そしたらさぁ、さみしい奴だって鼻で笑われて。それで大喧嘩したんだけどさ。それでも、今度連れて行ってやるって約束したんだ」 誰がという主語を一切抜いて話す誠志郎。だが、これが誰のことだかは柊一には丸わかりである。 「・・・いいじゃないか、約束したんならそれを待てば」 柊一には早くも話のオチが見えてきていたが、あえて付き合いでそうコメントした。すると誠志郎は頬を膨らませてむくれて見せる。その姿を見て、柊一は「お前は小学生か」という突っ込みをしたくなるのをガマンする。 「それなのに、それをすっかり忘れて、北海道なんか行きやがったんだあいつは!」 「この暑い夏に北海道とは羨ましいな」 怒りの告白を混ぜっ返す柊一を、誠志郎が睨んでくる。が、柊一にとってはバカバカしいことこの上ない。なんだろうかこの、図らずしも隣人の痴話喧嘩に出くわしてしまったような虚脱感は。そういうことは本人同士で解決してほしい。 「ヒトの約束をすっぽかして、自分は悠々北海道旅行だぞ!許せるか!?」 旅行じゃなくて出張だろう。そんな訂正は誠志郎には聞こえていないだろう。 「で?本人に抗議したんだろう?何と言っていたんだ」 が、誠志郎はそこで急に勢いをなくして黙り込んだ。俯いてだんまりを決め込むこと十五秒。 「・・・言ってない」 「は?」 「だから、こんなこと言ってない」 誠志郎の台詞の意味をよくよく考えること、さらに五秒。 「お前、ひょっとして約束のこととか、それをどうしてすっぽかしたのかとか、アイツに直に言ってないのか?」 「・・・そーう・・・」 バツが悪そうに、妙に間延びした返事をする誠志郎。それがまた癪に障ったので、とりあえず柊一は渾身の力で誠志郎の頭を叩いておいた。 「痛いぞ、鈴男」 「鈴男じゃない飛鳥井だ!バカかお前は!コミュニケーションの基本をきちんと踏まえた行動を取れ、それからグチれ!それに振り回される回りはいい迷惑だ!っていうかこういう話はテレビ番組の生電話にでも電話しろ!」 「・・・だってさぁ」 「だってじゃない!男ならもっとシャキっと話せ!」 イジける体勢に入っている誠志郎を、柊一はビシッと叱り飛ばす。全くこれではどちらが年上かわかったものではない。 「・・・文句を言って、そしたらホントに忘れてたら。さみしいじゃないか」 仕事が忙しくてとか、そういう言い訳の可能性があればまだ慰められるけど。心配しているように、本当にさっぱり忘れられていたら立ち直れない。自分が楽しみにしていただけに余計。 そんな、どこの乙女だお前はという言い訳を聞かされ、柊一はこめかみが引きつっているのが自分でもわかる。どうしてこの自分が、クラスメイトの恋愛相談のようなことを聞かされなければならないのだろうか。 「そんなもの、忘れているかどうかなんて、本人に確認しなければわからないだろうが!」 「そう言われればそうなんだろうけど・・・」 「だったらとっとと電話しろ!」 「・・・今?」 「当たり前だ、どアホウ!」 そして自分をこのバカバカしい苦行から早く解放してほしい。 * 柊一に怒られ、呆れられ。それでもしばらくグズグズして。なんだかんだと水族館を柊一と一緒に全部見て。それなりに水族館を満喫した後、柊一から背中を蹴飛ばされ、電話させられる。かなり鬱陶しい奴に違いないと、誠志郎は自分でも思う。なのに最後まで付き合ってくれた柊一はいい奴だ。 「・・・よし」 すーはー、と深呼吸を何度か繰り返し、誠志郎は携帯電話の通話ボタンを押した。 コール音が一回、二回、三回。 『坊やか?どうしたんだ』 電話に出た。 今日一日、いや、ここ数日。誠志郎を悩ませた相手の声がした。腹が立ったし、悲しかったけれど、やはり声を聞けないと寂しい。 『どうやら今日中には帰れそうだ。土産は何がいい?』 心無しか楽しそうな声。誠志郎はちっとも楽しくなかったのに。やっぱり腹が立つかもしれない。 「・・・あのさ、あのね」 ずっと、一緒にいたいなんてわがままは言わないから。 もっと、声をきかせて。 ○一番星の主張 誰よりも早く、お月様の姿を見れる それが一番星の特権 しかし、ずっと一緒にいられるわけじゃない おはようございます おやすみなさい そう声をかけるので精一杯 だけど、一番星は貪欲に望む もっと、ずっと長く もっと、ずっと近く お月様といられますように 毎日毎日、そう願いながら お月様を目指す * 正直に言おう。 克也は水族館の約束を出張に出る直前まで忘れていたのだ。思い出したときは冷や汗をかいたが、誠志郎自身からそのことについての抗議が全くなかったので、誠志郎も忘れていると思ったのだ。だったらわざわざ波風立てることをせずとも、出張を手早く済ませて、水族館の約束をその後果たせばいいと。その時はそう考えたのだ。 しかし、時が経つにつれて別の考えが出てくる。 約束した時はあれほど嬉しそうだったのに、それをすっかり忘れられるのもなにやら面白くない。それにたとえ約束を憶えていたとしても、「約束したくせに!」という類の文句を言われないというのも、やはり腹が立つ。あっさりと諦めがつく程度の付き合いだと言われているようで。そう、考えると克也は心のなかにモヤモヤとしたものが溜まっていく気がした。このモヤモヤ感を、誠志郎の声を聞いてさっぱりと消してしまいたい。が、自分から連絡を取るのは何となく嫌だ。 そんなわけで、誠志郎からの連絡が入らないかと出張の間ずっと携帯電話と睨み合いをしていたのだが。結果、今まで連絡一切ナシ。それで結局待ちきれずに、先ほどこちらから電話をかけてみても、今度は相手が電話に出ない始末。どうやら一応、「怒っているぞ」という自己主張らしいと推測されるのだが。 「俺にどうしろというんだ坊や」 克也がそうやってため息をついている場所は、昨日から宿泊しているホテルのロビーである。憂いある雰囲気でため息をつくその姿に、観光客らしき若い女性たちがチラチラと視線を送ってくる。がしかし克也のストライクゾーンに入るためには、彼女たちはもう五十年ほど人生修行をする必要があるだろう。 そんなことで悩んでいても、きっちり仕事はこなさなければならない。克也は携帯電話を気にしつつも、仕事へと向かうのであった。 有田克也という男は、気になることがあるとか悩んでいるという理由で、仕事をおろそかにする男ではない。気になることに少しでも早くとりかかるために、昨日からいつもの数倍の意気込みで仕事に取り掛かっていた。その甲斐あってか、どうやら今日中に東京へ戻れそうであった。が、未だに誠志郎からの連絡は入っていない。もうこうなると意地の張り合いというか、我慢比べの領域に入ってくる。 (東京に着いたら、連絡を入れてやろう) 直接顔を見れば、この心のモヤモヤとしたものも晴れるだろう。しかし、やはり少し寂しい。確かに、約束を忘れていた克也に非がある。でも、それでも克也は、誠志郎に子供のように駄々をこねてもらいたかったのだ。 水族館へ行く約束をしたじゃないか。 どうして忘れてなんかいたんだ。 仕事よりも、僕を優先させてもいいじゃないか。 そんな風に、克也への独占欲を見せて欲しかったのだ。せめて克也自身と同じくらいに。 自分のこの気持ち自体が、子供の駄々と同じだという自覚はある。それの何が悪いのだ。 子供でも大人でも、譲れない気持ちに変わりはない。諦めのいい大人なんてクソ食らえだ。 そう開き直ってみると、心のモヤモヤが少し薄らいだ気がした。 しかし、薄らいだ気がしたのは一瞬であった。今から東京に帰ろうとしていたとき、誠志郎から電話があった。待ちに待っていたものであったが、克也はそんな様子など全く悟らせず、水族館の約束のことを訪ねられても「憶えていた」と言ってやった。嘘ではない、途中経過を省いただけだ。 そこまでは良かったのだが。誠志郎は克也が忘れていることに腹を立てて、その代わりとしてあろうことか鈴男を誘って水族館へ行ってきたらしい。安芸くんや美佳子ちゃん、耕作ならまだいい。よりによって御霊部のお子様だと?克也の心は、モヤモヤなどという可愛いものではない、どす黒いもので一杯になった。 * 電話でアリが怒っていた。 きっちり約束について文句を言ってやったら、「憶えていたとも、坊やの方こそ何も言わないから忘れていると思っていた」という返事が返ってきた。ムカつく言い方だったけれども、忘れていたわけじゃないんだとわかってちょっとホッとした。 けれども、今日鈴男と水族館へ行ってきたことを言うと、無言で電話が切れた。何でだ。 無言って怖い。僕が怒って電話したのに、電話が切れたら何故だか僕が怒られていた気分になるなんて。こんなおかしくて不思議な現象はない。有田マジックだきっと。 アリに電話をしたのが夕方頃。北海道のどこにいたのかわからないが、北海道から東京ってどのくらいかかるのだろうか。っていうか東京にいつ帰ってくるのだろうか。電話が切れてからそのことばかり考えている。電話しただけでどうして僕がこれだけ怯えなければならないのだろうか。僕は悪くないのに。やっぱり有田マジックだ。 こんなことを考えながら最初はビクビクしていたが、その状態が長時間ずっと続くはずもなく。誠志郎は夕食を終えて、おなかが満たされたら気持ちも落ち着き、暑さも薄らいだ夜のまったりとした時間をウトウトしながら過ごしていた。そんな眠気と現実の狭間で、誠志郎は微かに、コツコツコツ、という固い足音を聞いた。いささか足早に、それは静かな夏の夜のアパートの廊下に響いている。 (もしかして、いや早すぎる。でもひょっとして) その恐怖を煽る音はだんだんと誠志郎の部屋に近付いてくる。 (怖い!どうしよう!そうだ寝よう!僕は疲れたからもう寝ているんだ!) 誠志郎の極限状態の脳ミソでは、子供の知恵程度のことしか浮かばなかった。手早く部屋の明かりを消すと、誠志郎はベッドに飛び乗り、掛け布団を被った。 足音は止まった。誠志郎は心臓をバクバクさせていた。だがどんなに待っても、玄関の呼び出しチャイムが鳴らされる様子はない。部屋が暗いので、寝ていると思って帰ったのかもしれない。それでも念のために布団を被った状態で、もうしばらく待っている。それでも何も起きない。きっと克也ではなかったのだ。おそらくは隣の住人だろう。 (なぁんだ、怯えて損したかも) そう胸をなでおろした瞬間。 「坊や」 「っひゃぁあああ!!」 突然頭のすぐ近くで呼ばれ、誠志郎はものすごい悲鳴をあげた。そして掛け布団を投げ飛ばして逃走を図る。しかし狭い部屋の中、どこに逃げられるというものではない。すぐに部屋の明かりがついた。床にへたりこんだ上、冷蔵庫にしがみついた格好で、誠志郎は現実を見た。 「坊や、俺は妖怪か何かか?」 誠志郎の過剰反応に、呆れたような様子を見せているのは克也だった。誠志郎としては鍵はともかくも、近付いてくる気配もなかったし、足音もしなかったので余計恐怖を煽られた。ある意味妖怪よりタチが悪い男である。 「アリ、いつ帰って、ていうかもっと普通に、っていうかお帰りなさい」 何を言いたいのか自分でもよくわからない。が、克也は坦々とそれに答える。 「ただいま坊や、空港についたのは三十分前だ。アパートに着いたときは明かりがついていたのに、急に暗くなるのはあからさまに怪しいだろう。小細工はもう少し上手くしろ」 なにやら小言を言われてしまった。 「うう、まだ心臓バクバクいってる・・・」 ようやく冷蔵庫から離れ、床にへたりこんだままの状態で、ずりずりと克也の足元まで這っていく。 「普通に起きて待っていれば、俺だって普通に入ってきたぞ」 「だって」 誠志郎が上目づかいに見上げれば、克也は憎たらしげに眉を上げてみせる。 「何かやましいことがあった証拠だ」 「やましくない!」 胸を張って言い返す誠志郎に、克也はため息を落とす。 「・・・堂々とされるのも、それはそれで問題だな」 「だって、水族館に行っても、アリと一緒じゃなきゃ楽しくなかったし」 なんだかんだで鈴男と全部見て回ったが、感想は「アリと一緒に来たかったなぁ」しか浮かばなかった。付き合ってくれた鈴男には、カワウソのヌイグルミを買ってやった。鈴男はもらって微妙な顔をしていたけど。 「だから、今度の休みに一緒に行こうな水族館」 ずっと、これを言いたかったのだ。やっと言えて誠志郎はにっこり笑顔だ。が、克也はまたまたため息をついて、 「その言葉を、できれば電話で言ってもらいたかったな坊や」 誠志郎の前髪をくしゃくしゃにしてくれた。 「約束だからな!」 「ああ、約束だ」 もう一度、約束のしるしのゆびきりを交わす。 いつも一緒に、あなたといられますように。 「ところで坊や、いつまでへたっているんだ」 「・・・腰がぬけた・・・」 Fin |