禁域

 *

 ちづるさんは美しい。
 エリ子のような近寄りがたい美貌とは違い、人を惹き付ける色気がある。
 焰に引き寄せられる蛾のように、不埒な輩が寄ってくる事も少なくない。
 エリ子が睨みつけただけで逃げていく程度の輩ならばまだよいが、自分もちづるも若くか弱い美少女だ。本気で身の危険を感じるようになってからでは遅い。
 敏いエリ子は早々に身を守る術を身につけた。
 だから相手が生身の人間なら勝てる自信がある。決して容赦などしない。
 だが……。

 生身の人間でも、殴り倒すわけにはいかない奴がいる。どんなに気に入らなくても。
 ちづるさんの……いや、ちづるさんが、大事にしている父親だから。
 たとえそれが、己の娘よりも使命を優先する親だとしても。

 駅を出てタクシーを拾う。
 タクシーの運転手は、始終バックミラーを気にして、セーラー服の乗客に何か言いたそうにしていた。家出少女かなにかと思っているのだろうが、エリ子は完全に硬質な空気を身にまとい、口を挟ませなかった。
 目的の神社の近くでタクシーを降り、箱襞スカートのポケットからカードを一枚取り出した。
 場所はこの神社で間違いない。
 長く続く石段を見上げると、エリ子は唸る。

「あのっ、くそじじぃ〜〜〜っっっ!!」

 髪が乱れ、額にかかる。二つの長い三つ編みが、荒々しく背中で跳ね踊る。
 セーラー服の襞が乱れても白いソックスに泥が跳ねても気にせずに、エリ子は走った。


 その御霊は、一度人に憑依させねば鎮める事はかなわないという。
 ならばその筋のプロフェッショナルを雇えば済む事だと思うが、依代となりえるのは御霊と同じ年頃の……十三歳の少女のみ。
 そうして白羽の矢があたったのが、ちづるだった。
 父親の血を受け継いで予知の能力を持ち、エリ子ほど我が強いわけではない。
 籠目善衛が、妾に生ませた娘にその事を告げた時、ちづるは穏やかに頷いた。

「お役に立てるのでしたら、よろこんで」

 たとえちづるが能力者だとしても、そういった修行などしていないのだから、無防備に御霊を受け入れて無事でいられるわけがない。
 事実、エリ子の占いでも不吉なカードばかりが示された。
 それも承知の上で。承知の上で、そういうことをするのだ。籠目のじじぃは。
 まだじじぃと呼ばれる歳でもないだろうが、老成した雰囲気を漂わせた善衛を、エリ子はそう呼んでいた。ローティーンの自分から見れば、充分じじぃでオッケーだ。

 エリ子が境内にたどり着いた時、一番に目に入ったのは、その異質な存在だった。
 籠目もその淡い光を放ちながら、陽炎のように細く立ち上ってゆくモノを見つめている。その陽炎の下には青ざめて横たわったままの、エリ子と同じ濃紺のセーラー服の少女がいた。
 ちづるだ。
 あの陽炎のようなものが、籠目に鎮められてちづるの肉体から抜け出ようとしている御霊に違いない。
 あの御霊が完全に離れると、ちづるの命もその肉体から離れてしまう……エリ子はそう直感した。

「ちづるさんっ」

 御霊に完全に集中していて、エリ子の思念に気づかなかった籠目はその声に慌てて振り返った。
 途端、籠目の周りを色鮮やかな紙が舞う。
 エリ子が無我夢中で放った七十二枚のタロットカードたち。
 だが距離が遠過ぎて、ほとんどが籠目を数歩通り過ぎたあたりで地に落ちてゆく。たった一枚だけが、その奥のちづるの胸に辿り着いただけで。
 それと同時に、御霊が完全に抜け去っていった……。

 間に合わなかった……。
 エリ子はその場にがくりと膝をつくと、両手を固く握りしめて目を覆った。
 ちづるが只の抜け殻になってしまった姿など、絶対見たくはなかった……。

 夕焼けが世界を美しいオレンジに染め上げても、エリ子には何の慰めにもならない。
 やがてその空が、夜を迎えようと薄紫に変わった頃、頭上から冷ややかな籠目の声が降り注いだ。
「立ちなさい」
 そのやけに冷めた声音……エリ子は怒りをバネに立ち上がった。
「よくも……っ」
 エリ子の言葉を遮り、籠目は紙幣を数枚、エリ子に握らせた。
「……なんのつもり……?」
 睨みつければ籠目はかなり渋い表情をしていた。
「帰りの交通費だ。これだけあれば充分だろう」
 籠目はそのまま、指で眼鏡のズレを直した。
「二人分には」
「!」
 エリ子は慌ててちづるを見た。
 その胸の上に落ちた一枚のタロットカードが、薄闇の中淡く輝いている。それは微かだが、ちづるの呼吸に合わせて上下していた。
「礼は言う。だが二度と御霊部の仕事の邪魔をしないでもらいたいね」
 そう言って籠目はエリ子が来た石段を下りていった。
「な……っ、仮にも父親だったら、ちづるさんをこんなところに置き去りにするんじゃないわよっ」
「……顔をあわせづらいのよ」
 静かなちづるの声に、エリ子は振り返る。
 ゆっくりと身体を起こそうとするちづるに、エリ子は駆け寄って支えた。
「大丈夫なの?」
「ええ」
 上半身を起こすと、タロットカードが一枚ちづるの膝の上に落ちた。
 そっと表を返し、絵柄を確認する。
「このカードがわたしを守ってくれたのね。やっぱりエリ子さんったら、すごい力の持ち主だわ……」
 ちづるはその美しい絵を眺めた。
 美しい裸身の女神がひざまづいて大地と水の流れに水を注いでいる。彼女は身籠っているのだろうか、その腹部はやわらかな曲線を描いていた。彼女の両脇には樹木。そしてその頭上には、一際輝く星とそれを囲む七つの星たち……。
 その星を見て、ちづるは少し寂しげに微笑んだ。
「この大きな星はエリ子さんね。あなた、大人になったら職場で部下を持つようになるわよ……」
「あら。キャリアウーマン? それとも女社長かしら?」
「そこまではわからないけれど……でも残念。エリ子さんにはわたしの代わりに御霊部の仕事を手伝ってほしかったのに」
 いくらちづるさんの頼みでも、あのじじぃの下で働くのだけはご免被りたい。
 エリ子はちづるからカードを受け取ると、薄墨の空を見上げた。


 そこには、ちずるのように静かなたたずまいで、一番星が輝いていた。 
 


 **

 一番星を見失ってしまった。
 走り出したオサキを追いかけて外へ出た、逢魔が時。
 オサキにとっては遊びに誘ったようなものだろう。昼と夜の狭間の時は、きっと彼らのような妖が活発になる時に違いない。
 幼いながらも、漠然とそう耕作は理解していた。
 たった一匹だけ残った、この純白のオサキキツネは耕作を置いて消えていったりはしない……のだが、つい追いかけてしまうのは、自分にはオサキしかいないからだった。

 オサキと一緒に、一番星の後を追いかけて歩いていたのだが、今はもう夜空は満点の星に彩られ、どれが一番星だったのかもわからない。
 星の周りに集う星達。
 地上にも、星のように家々の明かりが灯されていた。


 自分と同じ、ひとりぼっちの一番星は、もういない。

 
 オサキを抱えて帰った時には、家じゅうの扉と鍵が閉められていた。

 もちろんオサキに頼めば、入口を開けることはできる。
 だが開かない扉が、帰って来なくていい、お前はいらないと言っているようで……。
 耕作はぼんやりと、裏手にまわり、そこにある空き地の原っぱで腰を下ろした。
 膝を抱えて眺める地上の星は、どれも遠く感じる。すぐ近くにある、己の家の明かりは尚更遠かった。

 まっくらな中近づいてくる人影に、気づいたのはオサキだった。
 するりと耕作の懐から飛び出して、好奇心のまま観察に行ってしまう。
 ところが向こうもオサキに気がついて、のんびり「おや」と声をあげた。
 気づかれるとは、オサキ自身も思わなかったに違いない。びくりと跳ねると、そのままの勢いで、オサキは一直線に耕作の元へ戻って来た。

「そのオサキは、坊やのかい?」
 風呂敷包みを抱えた、大人の男だった。耕作の担任よりも若くてがっしりとした身体つきだ。
 オサキ、と言われて、耕作はびくりと身を震わせた。
 オサキキツネは憑き物だ。誰にでも見えるわけではなく、またその存在も忌むべきものとされることは珍しくない。
「珍しいな。オサキは女性に憑くものだと思っていたが」
 その瞬間、男の眠たげな瞳に鋭い光が走る。耕作は男の背後の夜空で、流れ星がひゅっと走るのを見た。
「あ」
「ん?」
 耕作の視線を追って、男も振り返るが、その時にはもう流れ星は消えていた。
「……いま、流れ星が……」
 つい声をあげてしまったバツの悪さに、耕作は小さく言い訳した。
「なにかお願いしたのかい?」
 そう訪ねられて首を振った途端、耕作のお腹が空腹を訴えた。
 恥ずかしさに顔が火照るのを、感じる。夜だから、目の前の男に赤くなった顔が気づかれにくいことだけが幸いだ。
 耕作がすっかり動揺していることを感じて、襟元からオサキが顔を出しはじめた。
 ギクリとした。
 だが、男はさしてオサキを気にした風でもなく、よっこらせと年寄りくさいかけ声をかけながら、耕作の横に腰をおろした。
「んーとね。……ああ、あった。まんじゅう食べるかい?」
 背広のポケットから、茶菓子として振る舞われたのであろう、半紙に包まれた茶色いまんじゅうを二個とりだすと、男はつぶれてないほうを耕作に差し出した。
 初対面の相手から受け取って良いものか悩んだが、オサキが匂いをかいで、安全である事を耕作に知らせた。
「……ありがとう」
 小さな耕作の御礼に、男は目を細めて頷いた。
 ゆっくりとした動作で男はまんじゅうを半分に割ると、お前も欲しいかいとオサキに訪ねた。
 オサキは盛んに男の手許と耕作の手許を見比べると、耕作におねだりすることに決めたらしい。耕作の食べかけの餡子をじっと見つめた。
 耕作が自分のまんじゅうをオサキに分け与えたのを見て、男は二つに割ったまんじゅうを元のように合わせると、軽く包み紙をかぶせた。
「これも食べるといい」
 そう言って男は耕作に手渡す。
 薄い包み紙の間から覗くまんじゅうは、端が少し潰れている意外はきれいに一つのまんじゅうのような顔をしていた。
 念のため先ほど男が割った後を確認したが、割れて皮がめくれたような跡など全く見つからなかった。
「ええ!?」
 驚いて耕作が顔を上げた時には、男の姿はどこにもなく……。

 ただ、男が忘れていったであろう、風呂敷包みだけが残っていた。

「オサキ、あの人を探して!」
 耕作はまんじゅうをポケットにしまい、風呂敷包みを抱える。
 耕作の命令に、オサキは駆け出した。
 耕作も駆け出す。
 あの人なら、聞いてくれるかもしれない。
 大好きだった姉の事、母の事、このオサキのこと……。
 そして、耕作自身のことも。
 漠然とそう感じ、耕作は必死に駆けた。

 早く捕まえないと、流星のように見失ってしまうかもしれない。
 早く早く。

 やがて広い背中が見え、耕作は声をかけたーーーー



 ***

 なんと声をかけたら良いのだろう……。

 その光景に、飛鳥井柊一は立ちすくむ。
 仕事帰りにたまたま通りがかった道……普段なら、こんなところは通らない。
 だが、ふいに聞こえたのだ。
 聞き覚えのある歌声が。

 そして……見た。
 夕闇の公園で、大学生男子二人が、一方はブランコに腰をかけ、もう一方がそれを漕いでやっているという、心寒い光景を。

「で、その歌の続きは?」
「思い出せないんだよなー。ばあちゃんのとこに弟子に来たっていうお兄ちゃんがさ、こういまのお前みたいにブランコ漕いでくれながら、歌ってるわけよ」
 ギィーコーとブランコが揺れ、腰掛けている青年の目立つ一房だけ金色の前髪も揺れた。
「なんかそれがすごく恐くてさ、やさしいお兄ちゃんだと思っていただけに印象が残ったというか、最近思い出したというか……」
 そう云って、柊一を呼び寄せた歌をまた歌い始めた。
 といっても、本当にはじめの部分だけだが。


 あかいめだまの さそり
 ひろげた鷲の つばさ
 あをいめだまの こいぬ、
 ひかりのへびの とぐろ。


 ……この歌の、どこが恐いって?

 なんの歌なのかすぐにわかった柊一には、どこが恐いのかさっぱりわからない。
 というか、こいつら大学生なのに知らないのか……まあ確かに学校で習ったりはしない歌かもしれないけれど。

 うんうんと頷きながら、ブランコを漕いでいる銀縁眼鏡の青年が何かを閃いたように言った。
「蠍の赤い目に鷲の翼、小犬の青い目にとぐろを巻いたへびかぁ……わかったぞ! これはきっと陰陽道の口伝秘伝アイテムの材料に違いない!!」

 おいおい……。

「確か最後に熊とかも出てくるんだよな……」
「だとしたら、熊の胆(くまのい)だな。食欲不振・胃もたれ・胃弱・飲みすぎの人気商品だ」

 熊の胆は陰陽道と関係ないだろうが。
 すでにもうなんとツッコミを入れれば良いかわからない会話に、柊一はひとり公園入口で頭を抱えてうずくまった。
 そうじゃない。その歌の正解はこうだと、言ってやれば良い。
 お前ら、馬鹿かと。
 いやむしろ、こんなやつらにわざわざ関わり合う必要など無い筈だ。向こうに気づかれる前に立ち去るべき……なのに。
 顔をあげ、柊一はそのシルエットを眺める。
 ブランコと二人の青年は、切り離されたところのない、一つの形を作り上げている。
 それは、同年代の気さくな友人のいない柊一には、決して作り得ないだろう光景で……。
 薄墨の空間に縁取られたそこは、不思議と特別なものに感じられたから。

「いや……そんな漢方系じゃなくって……もっとおどろおどろしいというかさー。たしか歌の題も、呪いめぐりの歌って云ってたし」

 ちりりん。
 ついずっこけた柊一のポケットから、鈴のついた組紐が飛び出した。
 しまったと思った時には、案の定やつらに気づかれて……。

「「鈴男!!」」
 二人の青年は、ぴたりとハモって息の合うところを見せつけてくれた。
 柊一はつい。
「あやまれっ。お前らいますぐ、宮沢賢治と全国の宮沢賢治ファンにあやまれっ!!」
 なにも柊一自身、宮沢賢治に特別な思い入れがあるわけではないが、気恥ずかしさが手伝ってつい乱暴に言い放ち、立ち上がる。

「呪いめぐりじゃなくて、星めぐりの歌だ!」
「へ?」
 間の抜けた相手の表情を確認して、柊一は冷静さを取り戻した。
「じゃあ、ぼくは帰るから」
「待て待て」
 背の高い眼鏡の青年に呼び止められ、反射的に柊一は振り返る。
「気になってしょうがないから、歌の続きを教えてってくれよ」
 どうしようかと思案する。
 一房だけ金髪の、眺めの前髪から覗く期待に満ちた眼差しに、柊一はめずらしく人の悪い笑みを浮かべた。
「……二番目だけなら、いいぞ」


 アンドロメダの くもは
 さかなのくちの かたち。
 大ぐまのあしを きたに
 五つのばした ところ。



 柊一は鈴の付いた組紐を拾い上げ、軽く振り回した。ちりりと可愛らしい音が鳴る。



 小熊のひたひの うへは



 そうして狙いを定めると、そう……ちょうど大ぐまの部下である小熊の、歌詞の通り額を的にして。



 そらのめぐりの めあて。



 ぽこんと鈴を当てた。

 柊一の狙い通り、額の前髪に痛覚を持つ青年は、頭が痛いと抗議の声を上げた。



 ****

 頭が痛い……。
 なんてことを言い出すんだ、このひとは。 



「聞こえなかった? 妊娠したのよ」

 そのひと言に。
 望は驚きと共に、一瞬怒りに似た感情を覚えた。
 もちろん、そんなことは一片たりとも表には出さず、エリ子に祝いの言葉を述べる。
「それは、おめでとうございます」
 どうりで、今日、彼女は機嫌が良かったわけだ。
 望の美しい上司には、狙い定めた相手がいたことはいたが、お互い仕事が忙しくてなかなか結婚話までいかない様子だった。
 これで相手の男性も肚をくくるしかないだろう。話には聞くが会った事のない男性に、望は心底同情した。

 籠の鳥のカウンターで。

 グラスに入ったオレンジジュースをストローで吸いながら、望はやんわりとエリ子の身体を気遣ってみせる。
 このご時世に、結婚より先に出来てしまったなど外聞が悪いことこの上ないが、それを指摘する程命知らずではないし、それだけのことを打ち明けられるほど彼女が自分に信頼を置いてくれていることも理解していた。
「では、お酒もほどほどにしておかないといけないですね。高齢出産ですし」
 水割りのグラスを掴んだエリ子が、ギロリと望を睨みつけた。
「ちょっと! ひとこと多いわよ」
 それから手元のグラスに視線を戻す。
「……もちろん、これを最後の一杯にするつもりだったのよ……」
 そんなエリ子の様子を、いつもの眠たげな瞳に、うっすら、あきらめにも似た冷めた感情を滲ませて望は眺めた。
 ほんの数日前ではなかったか。
 民間の拝み屋とトラブって、エリ子がしたたかに先方を挑発しまくったのは!
 石塚と名乗ったあの男の生業とするところは、呪詛だ。
 確かにエリ子は強い。……だが。
 胎児といった、いまだ不安定で霊的にも影響の受けやすい存在を抱えて。なにも心配ありませんというのは、いささか甘すぎる考えだろう。

 やれやれ、面倒な……。

 ふと気がつけば、隣のエリ子が、カウンターに突っ伏している。
 瞬間、ひやりとしたが、その幸せそうな表情を見て安心する。どうやら単に、はしゃぎ疲れて眠ってしまったらしい。
「ちづるさん、すみませんがタクシー呼んでもらえませんかね」
 エリ子とは付き合いの長いちづるは、くすくす笑って。
「彼女ったら……自分の後をあなたに任せるんだから、今日はきっちり心構えを叩き込むんだって言ってたのに」
「————やはり、辞めますか。彼女」
「ええ。主婦業と子育てに専念したいんですって」

 ということはつまり。というか、やはり。
 石塚の件も、その他もろもろのことも。
 ほぼ間違いなく、己に後始末がなだれ込むと考えておいた方がいいだろう。
 望はグラスの中のオレンジジュースを、ストローを噛み締め音をたてて啜った。

 タクシーが迎えにきて、望はエリ子の身体をそっと抱え上げる。

 そのとき。
 そっと彼女に、結界を。

 なるべく後々にも気づかれないよう、気を使いながら。
「ん……」
 わずかにエリ子が身じろぎし、彼女のハンドバックが床に落ちる。
 どきりとしたが、すぐにエリ子の規則正しい寝息を確認すると、望は心の内で安堵のため息を吐いた。
 望の両腕が塞がっているのを察して、素早くちづるがエリ子のハンドバックを拾い、ホコリを払う。わずかに開いたバックの口から、するりとカードが一枚抜け出した。
「あら」
 望とちづる、ふたりの視線は思わずそのカードに釘付けに。
 エリ子愛用のタロットカード。
 そこには美しい裸身の女神がひざまづいて大地と水の流れに水を注いでいる。彼女は身籠っているのだろうか、その腹部はやわらかな曲線を描いていた。彼女の両脇には樹木。そしてその頭上には、一際輝く星とそれを囲む七つの星たち……。

 『THE STAR』

 木に囲まれ(林)女神(示)のおわす場所ということで、禁域との意味もあると。
 たしか。
 意味深な微笑みを浮かべて、エリ子が日中そのカードを片手にそう云っていたのを、望はぼんやり思い出した……。


 あの時そっと腹部に手を当てていたエリ子は、とても美しかった。